identity crisis

回避的な私の日記です

仕事をしていない罪悪感

わたしは昔から専業主婦になりたいと思っていたけれど、いざなってみると根底に罪悪感を持ってしまっている。多分子供がいたらそんなものは感じないのだろうけど、子供もいないのになんで仕事してないの?っていうのが世間の目なのかな。と勝手に気にしている自分がいる。

 

今は資格の勉強中ということで引きこもり生活にも張りがあるけれど、それがなかったら全く平和で刺激がない生活なのかもしれない。それもある意味で目指したい幸せではある。一方で仕事を持ち、自分で収入を得て自信をもって生活したいという気持ちもある。

 

今は?今だって幸せだと思う。毎日勉強して必要な知識が得られるのだから、喜び以外の何でもない。暇を持て余す時間もないし。そう思いつつも、不満を見つけ出してない物ねだりをするのは簡単なことだね。

 

映画の中に出てくる好きなセリフ。

幸せになるのは思っているよりも簡単なのよ。今あるものを愛せばいい。沢山あるわ。なくしたものを求めるのをやめたら、人生は穏やかになる。

この通りだと思う。この言葉を受け入れると心が穏やかになるので好きなんだなあ。

色んな状況を当てはめることができる言葉だけれど、今の自分は「こうでありたい」とか「こうあるべきだ」っていう考えが本当に自分を疲れさせている。こうでありたいって思うことは、向上心があっていい心がけでもあるけれど、縛られすぎると現実とのギャップに苦しむことになるんだろう。今はまさにそんな感じなのかな。 

 

話は少しそれるけれど、先日母が入院していた時のこと。

ベテランの助手の方が大泣きしていたとのこと。聞いてみると職場でいじめられたらしい。その人はわたしがお見舞いに行ったときに会ったことがあるけれど、この人はいじめられないだろうっていう印象を持っていた。明るい感じの人。もう長くその病院に勤めているそうだけれど、そんな人にもいじめはあるのかと意外なのと同時に何だか怖かった。

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photo by celeste343

で、自分が以前の職場で受けた嫌がらせというかいじめを思い出したら、やっぱり働きたくないなあなんて思った。ただまたそうなることが怖い。

でも精神的な病気を抱えている人が求職活動を頑張っている日記を見たり、仕事をしている記事を見ると、自分は・・・と思う。そして肩身が狭くなる。自分で勝手に価値観を押し付けて窮屈になっている感じに疲れてきてしまった。罪悪感を感じたり働きたいと思ったり、でも怖いんだという無限ループにはまっている。だから、それを考えないように今日もまた勉強している。解決にはなっていないけれど、考えずには済む。結局今そんなこと考えたって無駄なんだ。だって今の今、求職活動を始める意欲がないのだもの。それが答えか。なら、罪悪感を感じるよりも資格の勉強に集中してな、という結論になるのか。ごちゃごちゃと書いていたら、いくらかスッキリしてきました。ブログはいつもこういう思考を整理するツールになっているようです。